キリシタン弾圧による殉教者120名が眠っている米川の三経塚を、米川ガイドの会の方々に案内していただきました。この地方には1558年に製鉄技術とともにキリスト教が伝わり広まったと言われています。
秀吉によるキリシタン弾圧が始まると、仙台藩でも弾圧が行われました。1720年代、突然この綱木の里でキリシタンが惨殺され、山経塚に葬られたとのことです。
カトリック米川教会の隣には米川聖マリア保育園があり、キリスト教の教えがこの地の多くの子供たちを育んできたことが分かります。
現在は信者の数も少なくなり、毎年6月行われていた「キリシタンの里まつり」も開催されなくなったとのことです。 この地で起こった権力による宗教弾圧の貴重な歴史を米川ガイドの会の方々が語り継いでくださっていることに感謝します。